2018年6月9日土曜日

徒然草を今更読む



ベストセラーの書籍のせいか、日本の代表的な古典「徒然草」が流行しているそうです。

私自身も流行に乗じて一通りはじめて最後まで目を通してみました。

全くお堅くなく、風刺も交え、生々しく当時のころを書かれたエッセーであり、今の日本人とあまり変わらない箇所も多くみられ、また違った角度で自分たちの生活を見直すきっかけになるかもしれません。

『吉田神社』の神職の家に生まれた吉田兼好は、幼い頃から非常に賢い子供でした。20歳前後から朝廷に勤め始めると、25歳頃には『大覚寺統』(だいかくじとう・鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位に即いた皇室の系統)の後二条天皇の外祖父(母方の祖父)の堀川家に側近として仕えることになります。

ところが、後二条天皇が24歳の若さで亡くなると、大覚寺統と対立していた『持明院統』の花園天皇が即位し、吉田兼好は出世の道を絶たれたと言われています。

諸説ありますが、1308年頃の後二条天皇の死をきっかけに知識人としての道を選んだ説、1324年頃の後宇多上皇の死がきっかけとなった説があります。

吉田兼好には、出世以上に自由に知識人として生きたいという思いがありました。

そして努力や能力だけではどうにもならないことがあることを知り、出世や名誉を得ることに疑問を感じ、30歳頃に出家して世捨て人となります。

大変読みやすくまとめてあるサイトを見つけましたので、リンクをしておきます。

こちら