私は、今まで数多くの人々の前世(過去世)を見てきました。
この世に生まれてきている不平等さの一つが外見です。
たくさんの方を見ていくと、今世では、大変外見がよく生まれても、前世は真逆の外見であるということがよくあります。
外見というのは、本人がその人生の目的を達するために前もって決めてきているようです。
美しい外見で人生が大分追い風になることもあるでしょう。
しかし、ある程度歳をとれば、その外見が逆風になるかもしれません。
それも含めすべてが学びなのです。
前世までの得意分野を知れば、今世で活躍できる分野を知ることができる場合があります。
音楽の分野で大成功している人たちは、過去世での経験が土台になっています。
絵画などの才能は前世との関りが分かりやすい分野です。
小さいころから習ってもないのに絵がとても上手な子はよくいます。
魂が覚えているのです。
占術や姓名判断ですべてを判断しようという考えは無謀に思えます。
なぜなら、生まれる直前の魂を見れば、(大人でもさかのぼって見ることもできます)その方がどういう人生を歩もうとしているか、またはどういう個性でどのような活躍をしていくかわかるからです。
才能というのは、過去世からの積み上げな部分が多く、どうしても張り合ってもかなわないのは相手は下手したら何百年もその分野で修練してきた大ベテランだからかもしれません。
音楽や絵画だけでなく、実業家の方も、過去世を見たら、現在活躍中の分野で相当経験を積んでいるのが視えることもあります。
では、自分には才能がないからと卑下する必要ななく、まだ才能が発掘されていないだけなのです。
人はへたしたら何十回も生まれてきて「今」を生きています。
人間として生まれてきている回数が数回の人もいます。
差があるのは当然なのです。
また「魂の同類」で固まる傾向があります。
魂のルーツが同じだったり、何度も家族として生まれ変わったり、何度も夫婦や恋人として現れたりします。
家族や恋人、親友や職場の上司、仲の良い(仲の悪い)同僚は、過去世でも縁深かった人たちです。
例外もありますが、ほぼ間違いありません。
そう考えると私たちは時間を乗り越えた縁を紡ぎながら、尊い人生を生きているのです。